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旅スケッチ

フランス1

 2006年5月23日から、29日まで、某大手旅行会社のツアーに参加してきました。長年の憧れの地、ヨーロッパ、フランス、パリの地面を踏んでまいりました。私なにぶんフランス初見者につき、スケッチポイントを短時間で確実にかつ効率よく巡るため、北フランス中心で、私の希望を満たしてくれるこのツアーを選んだのでした。結果的にはその希望を十分満たして帰ってきました。ありがとう、です。

 

 今回のレポートは、1,世界遺産巡り、

          2.オーヴェール日帰り一人旅(ボンジュール ムッシューゴッホ、セザンヌ)編、

          3.フランス雑感編、

 の3編で編集してみました。

1.世界遺産巡り

 2006年5月23日、大安。集合時間より1時間以上早く広島空港に到着。前日までにユーロへの両替ができずにいたので、空港の両替所にて400ユーロ分を両替。ここの両替所は大変混んで時間がかかるとの注意事項を事前に聞いていたので、早めに空港に行ったのだったが、なぜかか、たまたまか、私一人だったので、まったくスムーズに両替できた。「これでこの旅はうまくいったも同然」、とひとりほくそ笑む。ユーロの入った封筒を、心を落ち着かせて開くと、なんとおもちゃのような小さな、こぎれいな印刷物とコインが出てくる。おお、これがユーロか、日本のお札の印刷のほうがすごいじゃん、と率直に思う。が、お札の番号のなかに、ひごろ私がラッキーナンバーと称する番号がずらっと、みてとれたので、「これでこの旅はうまくいったも同然」と、またひとりほくそ笑む。が、心の中では、「ちゃんと飛行機に乗って日本を離陸するまでは、実現したとは言えない」ような予感がして、ちょっと落ち着かない。
 ひととおり手続きを済ませ、バックパックを預ける。12時40分発上海行き中国東方航空への、出発のための手荷物検査口に入り、手荷物検査を受ける。テロ対策でチェックが厳しいと聞いてはいたが、ペットボトルのお茶でさえ、可燃物の液体かどうか調べる。今回の旅では、荷造りの時から私は怪しい物は一切旅グッズからはずしている。気楽に検査用ゲートをくぐる。が、だめだった。なんとおさいふと携帯電話をズボンのポケットに入れていた。初歩ミス。さいふと携帯を出し、再度くぐろうとする前に、男の検査官が言う。「靴も脱いで、もう一度お通り下さい。」ナイキのシューズを検査用スリッパに履き替えてくぐる。またしてもだめだった。「ポケットが多いベストを脱いで、もう一度。」と、こんどは若い女性検査官がきびしい表情で言う。ああ、おれはこんなところでどこまで脱がなくっちゃいけないんだろうと、ちょっぴり恥ずかしい(笑)気分で、片袖脱いで、もう片方を脱ぐために腕を上げた時だった。「中止します」と。いったいどうしたことか。この上げかけた腕は行き場を失って、自分の左腕は奇妙に曲がったまま、止まっている。しかも、もとの待合い所へ戻れ、ということで、靴と持ち込みバッグとさいふとベストとチケットとパスポートとハンカチやら、を持たされてそこの出発口の入り口(?)を出る。このどさくさで、あやうく預け荷物の引き替え券をなくしかけて、たいそうあわてた。この旅はうまくいくはずじゃなかったのか・・・。
 事の成り行きはこうだった。広島空港上空の厚い霧のため、出発が遅れるという。総勢33名のわれらの乗るべき飛行機も広島空港に降りられずに、急遽福岡空港に着陸し、広島空港への乗り入れの機会をうかがっているという。1時間過ぎ、2時間過ぎた。が、状況はいっこうに改善する気配がない。国内便は、飛行機のやりくりがつかないため、次々、欠航が決定する。そこらへんの人々は、口々に「あー最悪」とか「まいった」などといっている。そもそもこの広島空港のある地域は、春と秋は濃霧が発生することで有名なところ。何千年(大げさですが)も前からわかっていたことだろうに、なんでこんなところに空港を造ったのか、(しかも市の中心部からバスで50分前後かかるところ)。われらの旅も、飛行機積み込み用のバックパックやスーツケースだけが、ラベルもつけてもらって、我らの手の届かないところで待機して、しかしそれまでか。このハイテクの時代に濃霧をものともしないレーダー誘導ができそうなものだが、どうにも広島空港はその設備を備えていないらしく、こうなるのだった。飛行機の機内食を昼食とする予定が、空港のざるそば定食でこの旅スケッチは終わるのか、本日の観光予定の上海リニアモーターカー乗りや、小龍包と上海料理はもうだめだな、さまざまな想いが頭をよぎる。
 今回の予定飛行ルートは、まず広島発上海行き、そして10時間後の上海発パリ行きに乗り継ぐ。今回はフランスが目的だったので、中国観光はおまけでついていたようなものだから、なくても納得するので、せめてそのパリ行きに間に合いさえすれば、パリに行けるのだが・・・。
 出発のための中途半端な、検査未遂事件(笑)から3時間がすぎた。天気予報によるとこの濃霧は本日中続くという。空港のなかは人影もまばらになってきた。当飛行機で中国に向かうつもりの100人余りの人々だけが、辛抱強く待っている。ときおり、スタッフや添乗員さんたちが呼び集められて緊迫したムードで相談している。そしてついに決定された。「広島空港悪天候のため、これより、バスで福岡空港へ向かいます。」「おーーーーーーっ」といっせいに歓喜の声が我らの待合所でわき起こった。
 かくして、すでに預けられていたスーツケースは、黄色いセキュリティチェック通過認証ラベルも誇らしげに、厳重な監視のもと、空港がチャーターした福山バスの荷物室に積み込まれました。これはちょっと笑える風景でした。このようにして、総勢33名は、広島空港のバス乗り場より、パリをめざして、バスで出発いたしました。(笑)あーーめでたいめでたい。
 振り返ると、厚い羽毛ぶとんのようなふわふわの霧のふとんをかぶった広島空港が、気持ちよさそうに眠っているかのようでした。(笑)自然現象にはかないません。さて、無事出発したとはいえ、福岡空港までは、高速道路で4時間。バスは飛行機のようにビュンビュン飛ばします。それにしても・・・。朝、私の実家(山口県周南市)を7時40分ころ出たけど、結局、ほぼ10時間後にはふたたび、実家近くをバスで通ることになろうとは・・・。見慣れた美東サービスエリアでトイレ休憩をとり、パリをめざす。広島空港から関門海峡をバスで越え、夕日まぶしい福岡空港に到着。あわただしく、広島から乗るべき飛行機に乗り込み、これでいよいよ日本を離陸できる。ところで、我らを乗っけたバスのナンバーは12-34。これはなんと順調な感じの番号だこと。これで、今回の旅はやっぱりうまくいっているな、と確信しました。(笑)思えば長い旅でした。(まだちっとも進んでいないんだけど(笑))

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 さて、かくして5月24日、パリ、シャルル・ド・ゴール空港に無事着きました。前日の上海観光が実施されなかったおかげで、体力温存できてよかったです。やはりこの旅はうまくいっている。ドゴール空港上空にさしかかったとき、眼下に広がるスカンジナビアやヨーロッパ大平原と畑と森をみていると、とうとう来たか・・・、と感激。着陸後も広い滑走路の移動とエールフランスの飛行機ばかりで、とうとう来たか・・・。あの超音速旅客機コンコルドを見つけた。が滑走路の片隅にまるでプラモデルのように、やや機首を上方に向けたまま、スタンドに乗っている。なんとなく悲しげでした。
 入国審査も終わり、空港を出る。そのときの出口の番号がまたもラッキーナンバー。この旅はうまく・・・、(もう言うまでもない、笑)

 ド・ゴール空港から貸し切りバスに乗り、朝日輝くパリを横目で見ながら、シャルトル大聖堂をめざす。一緒に旅する方々の表情も明るい。サッカーフランス大会の時の会場となったスタジアムや、遠くにモンマルトルの丘(最終日の自由時間に行くつもりでいる、そのときは)のサクレクール寺院が、青空のなかに白く輝いている。道行く人々や景色のカラフルな様子に、フランス映画の実物をみるようで、これが楽しい。革ジャンの男が黄色いバイクの横で、タバコをふかしている。顔なじみの男たち同志が車のドアをバタンと閉めて降りながら、手をあげて朝の挨拶を交わしている。瞳の大きな若い女性がバスの座席から外を見ている。わくわく見ているうちに、うまく写真に撮れなかったのが心残り。フランスやパリについての添乗員嬢のよくわかるガイドを聞きながら、団体旅行の安心感にどっぷりとつかる。今回のわれわれの一行は、ご年配のご夫婦や、親子、その兄弟姉妹の方々など、広島市近郊からの参加がほとんど。こんな近くに住んでいらっしゃるのですか、などという会話で、ますます親近感と安心感にどっぷりとつかる。最初の観光地、シャルトルまで、まだ青い麦の平原をひたすら行く。ところどころに赤い屋根の農家が見える。それにしてもこんなに緑が多い国だとは思わなかった。ガイド嬢によると、フランスの食料時給率は160%で、余った農産物は輸出にまわしているという。これに対して日本は20%。危機感を感じる。そうこうしているうちに、バスの前方はるか遠くにちらりと大きな建物の気配が・・・。フランス平野は大きな山がないので、遠くが見渡せる。教会の尖塔は、とりわけ目印のように、存在感を与える。このときもそんな心そぞろに新鮮な期待感を感じた。団体の皆さんに離されないよう、短時間早描きスケッチへ、心の準備をする。

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 シャルトル大聖堂を後にし、次の訪問地、ロワール川沿いのお城巡りだ。攻める守るのお城というよりは、王様やお后様の住居という感じ。昔読んだ世界の童話の中のお姫様の世界。まずは、レオナルドダビンチ設計の二重らせん階段のあるシャンポール城。ここでは描く時間の乏しさに悲鳴を上げそうだった。なにぶん一つ一つ複雑ユニークで魅力的な形の煙突の数々365本。手前に大きな木の幹を入れて、横長の画面にかきはじめたものの・・・多すぎる煙突と、お城が大きすぎておさまりきらない。無理やり押し込みました。(汗)結果、優雅に少女のようなロマンチックな目でみたシャンポール城をここで描き残す、という当初の予定は次回に託す、という気分で足早にバスに戻ったのでした。

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 次にロワール川支流のシェール川の川の上に建つシュノンソー城。なるほどこれも美しい。今回はあらかじめ自由行動の大半をスケッチにあてると決め込む。川に反映する超魅惑的な写真がよくガイドブックに載っているあれだ。こんどはものにする。つもりで描き始める。が、うすぐもりのうえに逆光、おまけに川はこれまでの小雨のためか、やや茶色く濁っている。約15分、鉛筆とカラーサインペンをとっかえひっかえ気合いでいく。お城の手前(上流から下流方向を見て描いている。)の樹のはえた中州は、ガイドブックの写真にはなかったような・・・。あとでこのことをガイド嬢に聞いたら、納得する答えが。ガイドブックの写真は、お城の反対側(下流から。観光客は歩い行くことはできない位置)から撮っていると言う。スケッチはがんばったが、ここでも、当初の計画は、やや濁った川の流れのような気持ちを乗せて流れていった。
 それにしても、今日一日だけで何カ所もの世界遺産を、歴史のお話も聞きなが見れるなんて、ツアーのパワーです。想像するだけでも、個人で移動することは、多大な労力を要しそう。あーーうーーー。バスに足早に戻る途中で、日本人らしい、スケッチ集団がじっくり構えて描いているのを見た。今度はあれだな、と気持ちを次回に引き継ぐ。かなりの制作時間をとって巡る個人企画のツアーのようだった。

 2006年6月25日、トゥールのホテルからモンサンミッシェルをめざす。4時間余りのバス旅です。遠くにモンサンミッシェルのシルエットを認めたとき、ヨーロッパの歴史と石の建造物の重みとキリスト教の意志の存在の大きさを感じた。(キーワードはイシ)すごさが漂っている。やはりフランス初の世界遺産登録だけはある。
 もともとは海に浮かぶ島の上に建つこの修道院も、今は堤防をバスでゆける。堤防を造ったおかげで、我々観光客にとっては便利だが、環境の変化で、堤防の周辺は青々とした草原になってしまった。それにしても、最上階に庭園もあり、映画「天空の城ラピュタ」を思い出す。こんなものが実在するとは・・・。中はまさに中世。厳しい戒律のベネディクト派の修道院らしく、質素と簡素と骨太のすごみがあって怖いくらい。こういうところにこれほどの石積みをするなんて、信教の意志の固さを執念のように感じる。必需品を運び上げるための動力として、囚人6人がその中に入ってまわす巨大な輪も、妙に生々しいリアリティを感じる。


 昼食のオムレツの話は第3編のフランス雑感編に載せるとします。

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 堅固な要塞のようなモンサンミッシェルを後にして、われわれの一行は宿泊地サン・マロヘ向かう。我々は日頃の行いが良いためか、この旅ではバスに乗っているときには雨に降られることはあっても、いざ歩いて観光という段になると不思議と雨具は必要なくなった。モンサンミッシェルでも、強風ではあったが、ときおり青空がのぞき、周辺に広がる干潟(近づくとかなりの高低差や、早い流れの川のようなものがあるという)と大西洋を、修道院の高いところから眺めることができた。風は気持ち良かった。
 もともとただ泊まるだけの予定だったサン・マロでは、われらのためにフランス人の運転手が、ホテルに入る前の時間を利用して、どこでも絵になるような堅固な城壁に囲まれた美しいこの港町のメインスポットに立ち寄ってくれたので、思いがけずも観光できた。個人旅行的な機転の利かせ方に感謝。しかも天気は回復し、まぶしい陽光に照らされて幸運だった。

 海岸沿いの城壁の上まで、歩いて出ると、まず、爽快な潮風と真っ青で明るい大西洋が目に飛び込んできた。さきほどまでの、重苦しいまでの修道院の印象が、一気に解き放たれたような気持ち良さでした。まっさらな自然、人の手や意志の介在しないまっさらな海がそこにあった。ところでここの城壁は大変細長く、はるかに長い。多くの観光客に混じって、みんな写真を撮ったり、海を眺めていた。ガイド嬢と我々の集団の人々の姿や動きを認識しながら、海の中のグラン・ベ島を、このすがすがしい風景をスケッチしはじめた。時折周囲を注意しながら描いていた(はずだった)。ガイド嬢にしたがって、みんなも三々五々移動する。最後尾の人を目で追いながら色をつけていた(はずだった)。そして・・・。気がつくと一行の人々を見失った。城壁はまだまだ続く。走って追いかけた。が、めざす一行はどこにもに見えない。あれれ、さらに走ってみる。ますます気配がない。多くの観光客がめいめい写真をとったり、笑ったりしている情景が、自分のまわりでからまわりしているようだった。しまった。はぐれた。認めざるをえない。情けない。とんだ失態。団体行動の中で、ひとりスケッチに夢中になっていて・・・。またやった。(実は12年前のトルコの観光初日のブルーモスクのなかでも、はぐれた。トルコ・イスタンブール編参照。)2回目なので、(笑)こんどは落ち着いていた。さすが、か、どうかはともかく、この町いろいろ見たいけど、とにかく、バスのところまで戻るしかない。みなさんに迷惑かけるわけにはいかない、と思いながら、2、3回まちがえたが、とにかくバスまで戻りました。

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 サン・マロは画家の絵心を魅了する町らしく、ツアーメンバーの中で、絵を描くことを趣味としている年配の男性も、「この町は絵になる。特に旧市街はとってもいい。」と言われてた。残念ながら、私エッキーは、迷子になっていたので、旧市街を見ていない。(涙)今度また来たときに、少し時間をかけて滞在してみたい港町です。
 全員そろっていざ出発したとたんに、バスの目の前の跳ね橋がはねて、しばらく停車。ヨットが一艘二艘、細い水路を通過していった。その間、城壁のある旧市街の外観と手前のヨットハーバーをスケッチしました。

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