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旅スケッチ

06インド1(12/9-16)

 インドは2回目です。が、前回は、高校時代からの親友でニューデリー在住の社長いもやんに、旅の一切を、なにからなにまでやってもらったので、ほとんど苦労せずに旅しましたが、今回は新たな場所へ、最初から最後まで、単独行動で駆け抜けました。折しも、フィリピン旅行での狂犬病による死者が報道されたばかりでもあり(インドでは年間1~3万人が命を落とすらしい)、不安あり、笑いあり、くやしさありの実り豊かな?旅でした。

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ナマステー(こんにちは)  

まるでガイドブックの写真のようなこの写真は、西部の都市アウランガバードの郊外の農村で、僕が水牛くんたちをスケッチしている様子をじっと見てたインド少年達です。僕の背後でスケッチの様子を見ていた大人たちは、少年達に「はよ学校いけえ」と、現地の言葉で言っている。

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{旅程}今回は、日本の仏像のルーツである、エローラ、アジャンタの石窟勉強をメインに据えた8日間でした。

関西空港から、香港、ニューデリー経由のエアインディア315便でムンバイへ。そこから、国内線にてアウランガバードヘ。そこからは自動車、オートリクシャー(オート三輪)で徘徊する。帰りは、来た道順を逆にたどる。では出発ーー。

12月9日(土)、予定通り、関西空港に、出発予定時刻の2時間半前に着く。火気類の荷物チェックがきびしい。すんなりいかず。スプレー類は出して見せて下さい、と言われる。手探りでバックパックから取り出す。虫除けスプレーはオッケーだったが、画材定着液スプレーは没収さる。コンテ、パステルの定着には必要でもあるが、すんなり手放す。飛行機はさっそく、約1時間半遅れるとのこと。まあインドのことだからな、と思うも、ムンバイ到着は深夜午前2時を過ぎるということか。インドでは、深夜の飛行場周辺には、トラブルメイカーの悪質タクシー運転手などが多いという。ムンバイからさきの旅の飛行機チケットやホテルバウチャー等は現地のインド人係員が握っている。そこで確実に受け取れなければ、あううう・・・。と、こうこうするうちに、予想以下に小さな飛行機(エアバス300)が、どうにかゲートに近づいてきた。おもむろに、整備がはじまる。なにもかも手さぐりな旅のはじまり、という感じです。

 乗り込んだエアインディア機は、きれいでホットな感じでほっとした。だが、よく見ると、荷物棚のロックの部分がかなりすり減っていたり、トイレのドアロックの部分をテープで補強していたり、と、昔いもやん社長が言っていたようなことを認める。運行に支障のない部分は、あんまり部品交換していないみたい。よく言えば、よく使い込んである。無駄な交換などしていない。さすがだ。インドでは「もったいない」精神が行き届いている。妙に感心。
 シート番号は10B。ほとんど満員。日本からのツアーの団体が三つくらい、乗り合わせている。となりの10Aの座席にはインド青年だ。ソーマさんという。これからムンバイまで12時間あまり。彼が日本語を話せるようなので、「ニューデリーまでですか?」と聞いてみたら、僕と同じくムンバイまで行くと言う。僕はムンバイから先は、アウランガバードまで、彼は、ムンバイからさらに南東の都市ハイダラバードまで。奥様や故郷にのこした小さいお子さんの、髪切りの儀式のために約10日間の休みをとってのことでした。長いまつげが美しい心優しいひとでした。日本に来て3年。岡山県のK化工のエンジニアでした(自動車関係のよう)(ソーマさんによるとインドではスズキが多いとか)。この人の日本語全く会話に支障がない。言葉がわからないと仕事にならないからと、よく勉強したらしい。日本語検定も着実にうかっている。あとは漢字の読み書きがむずかしいと言ってましたが、感心しました。おかげで僕は、12時間余りの長旅を、まだ知らぬインドの食べ物やら蚊やら、あれこれを質問しながら、楽しく、かつ、不安を消し飛ばしつつ過ごせたのでした。この旅はうまくいっている。ありがとうございます。

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 関空から香港まで約3時間、ここで機内食(和風)。香港で1時間停泊。ここで降りる人は降りたら、機内の荷物の持ち主チェック、掃除、新しい乗り込み、そしてニューデリーまで4時間半。ここでまた機内食(このインド食はおいしかった)。ニューデリーで1時間停泊。ここで降りる人降りたら(かなりの人が降りた、大部分の日本人観光客も)、ちょっと機内寂しくなって、またも機内の荷物の持ち主チェック、掃除、新しい乗り込み、そしてムンバイ国際空港まで約2時間。ここでも機内食(半分くらいしか食べれません、だってほとんど体を動かしていないんだもの。他の人々もゲージにつながれたにわとりのように、目の前の3食目の機内食をもてあましぎみに、つついている。ちょっと滑稽コケコッコー。自分もだけど)(笑い)

 日付変わって12月10日午前1時10分(インド時間)(日本との時差3時間半、いま日本は午前4時40分)定刻より1時間20分遅れでムンバイ国際空港にランディング。ソーマさんとはここで別れる。1時35分入国審査通過。いまんとこ無事。気温25度くらいか。ほっとひといき、トイレで厚着してたものを脱いで出てきたら、おまわりさんに呼び止められる。あやしいことはしていないが、服を脱いだことが気にかかったのか。パスポート、ボーディングパスの提示を求められる。一人歩きの旅行者はすんなりいかない。少し時間がかかった。さらに、バックパックは2時20分になってようやくベルトコンベヤー上に出てくる。ここで再度荷物のX線検査。それから、ドルからルピーへの両替、帰りの飛行機のリコンファーム、などなどしていたら、2時40分になっている。果たして、現地係員はまだ待っていてくれているのか・・・。この旅一番の大不安。名札をかざして待っている大勢のインド人の褐色の肌の顔を二度みまわしているうちに、あ、ありました。よかったです。でもこの人達(二人組)、本物?(ガイドブックの注意書きの読み過ぎか、半信半疑)こんな真夜中にだまされて全部とられても、まあ、命までは取られまいと、大げさにも覚悟を決めてついて行く。だってほかに頼るものはなにもないんだから。

 

 彼らの車に乗り込んで、ドアが閉まって動き出す。僕もこれで逃げられない。ガイドブックの注意書きにあるように、悪質者のアジトに連れ去られるのか・・・。僕もすぐさまチケット類を要求する。手渡されるチケット。これは本物か。暗いし、よく読めない。まだ疑っている僕。次の目的地、国内線の入り口まで、約15分のはず。真夜中のムンバイ市内を、どこをどう走ったかわからないが、どうやらこの二人は本物のよう。無事、国内線入り口へ連れて行ってもらう。アウランガバード行きの国内線の出発時間まで、約4時間余り。新築されてとても立派できれいな国内線ロビー。シタールの音楽が心地よく流れている。真夜中なのに、旅行者多い。椅子にすわって、やっとリラックスできました。

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夜明けです。国内線ジェットエア機に乗り込んで、アウランガバードをめざします。座席は翼のやや後方の窓際です。ちょうどきれいな朝日が、他の飛行機の垂直尾翼をシルエットにしてオレンジ色に輝いています。(写真)日本で昇るのと同一の太陽。
  この飛行機は新しくてきれい。飛行機は一度アラビア海に出て、Uターンするように内陸部方向をめざす。ムンバイ市街地がかすんで見える。このアラビア海の向こうはアフリカだな。飛行機の上から見ると、どこもかしこも地球の一部。続いてデカン高原、意外や、しわしわだな。アウランガバード近郊の大地は、畑としてよく耕してある。緑も多い。
 飛行機は、水平飛行に移ったら、すぐに軽食。10分ほどで撤去。すぐに下降。すぐに着陸。正味30分くらいで空港ヘ。なんと小さな空港か。

 日本のB観光会社を通じてからあらかじめ予約しておいた専用車が待っていた。乗り込む。使い込んだホンダの1300ccクラス。まず、エローラのカイラーサホテルをめざす。運転手はナワンさんという。にこやかで穏やかな50代のインド人。明後日のアジャンタ往復もこの人に頼んである。約1時間20分くらいのドライブ。
 初めて見るアウランガバード。今こちらは乾期なので、雨の心配は全くない。風もない。見るものすべて新鮮。だけど空気はかすんでる。新鮮でない、ほこり多い。市内に入るにつれて、あふれるばかりの行き違う男達、野犬、(やっ、狂犬病に気をつけろ、と心が身構える)、牛、牛車、汚れた小さいテントで生活してる人々、土の色とほとんど同じ。水たまり、散乱するゴミ、(日本でもパリでも道ばたのゴミは多い)、ぶっ飛ばす車やバイクの排気ガス、がたがたの道、飛び交う警笛、。天然色のサリーをまとった女達・・・。おーーー、インドに来ちまったな。前回のインド旅行を実感として思い出しました。
 車は市街地を抜け、インドの国樹であるパニヤンの並木道を抜ける。パニヤンは、沖縄のガジュマルを思い出させる。もとは同種だと思うが、パニヤンは幹の直径が1メートルは超える大木。枝葉もたっぷり茂る。この並木道は立派ですばらしい。騒々しい市街地を離れ、少し山を上り、そして下る。このあたりから、風景は桃源郷。峠から眺めると、緑もあれば、きれいそうな水の流れもある。やっぱりどこでも自然はもともと美しいのか。
 さきほどのごった返した景色を思い出してみる。日本であろうとインドであろうと、人々の生活習慣や心がけが、生活環境を生みだす。それで、美しかった自然もああなるのだと思う一方、人間という生物もこの自然が生み出した産物なんだから、ごみごみもまた自然か、とも思う。
 そうこうするうちに、カイラーサホテルに着く。温和そうな主人が出迎えてくれる。従業員もフレンドリーで落ち着いた雰囲気。気持ち良い。一戸建てのような石造りのコテージ。ベランダから、目の前にエローラ石窟が見える。すばらしい眺め。これはよいぞ。

​エローラ その1

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 エローラ石窟には、のべ3日訪問しました。2.5kmにわたって、ヒンズー教仏教ジャイナ教石窟寺院が合わせて34窟ある。とにかく、1500年から1300年くらい前の人々が、よくぞここまで重くて硬い岩盤を彫り抜いたもんだな、と圧倒される。この創造エネルギーの母体は何なのか。多少風化しかかっている部分や細い部分は折れていたりしているが、なかなか魅力的な彫刻も多々残っている。ブッダやシバ神など、その宗教の中心人物はもちろんだが、特に、その周辺に彫られた侍女や力士や象やライオンたちが気に入った。どれもこれも愛嬌があってかわいくてしかも生き生きしている。

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 仏教系石窟のエローラ第1窟(左上)と第10窟(右上)。おりしも第10窟では、オレンジ色の衣をまとった数名の僧侶と20名ほどの信徒が、冥想するブッダの像の前で読経をささげており、あたかも1000年以上前の石窟での祈りの場にタイムスリップしたかのようだった。その声明は石窟の素材とひだのある天井との音響効果によって、美しくかつ心地よく響いていた。奈良の東大寺のお水取りの際の声明のメロディにきわめて似ており、明らかなつながりが聞いてとれる。デジカメで少し録音する。
 仏教関係の石窟には、蓮の花かつぼみが彫られていることが多く、このことでこれが仏教の石窟であるとわかる。(左)
 仏教系の像には、穏やかさとしずかな微笑みが漂っている。

 第15窟から29窟までは、ヒンズー教系石窟。第1窟から第14窟までの仏教系石窟では、最も重要な一番奥はブッダの冥想像であることが多いが、ヒンズー教の中心はリンガ。陽と陰の結び、その結合原理それこそが新しい生命を生み出す神である。なるほど。日本では命が軽んじられる傾向にある中、ヒンズーのこのストレートな霊感は、自然で、健康的で、宇宙的でもあり、感激した。
 また、そのほか、ヒンズー教石窟の主なモチーフは、ヒマラヤのカイラーサ山に住むシバ神を讃えたもの。エローラでは、第16窟は圧巻です。

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 ヒンズー教で最も中心となるリンガ&ヨーニ。青黒く光る石。薄暗い石窟の本殿のさらに奥。ろうそくが二本灯され、てっぺんは黄や赤の花で飾られている。ろうそくの周囲には、インドのお札やコインが、お賽銭のように置かれてある。訪れた男達はこの神の一端に静かに額をつけて、祈りを捧げ、おまいりをする。女達や子供達はどうするかな、と見ていたら、女達も子供達も、同様にする。いろとりどりのサリー姿で美しい。感動した。

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この異形の人達は何なのか。

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 躍動的に腰をくねらせる女、牛の顔した男、多数の手足で壁を押す男、象とかっぱと鳥の合体顔。すさまじい生命のエネルギーを感じる。甲高い、あるいは超低音でうなるようなほえるような、声なき声が聞こえてくるようだった。この想像力にも脱帽だ。怒れるシバ神(下左)などは、日本の不動明王や千手観音の原型だ。
 この巨大な石彫の神殿はあたかも、多くの象たちが支えているという、無邪気な発想を現実にしてしまう超強力なエネルギーに、人間の持つパワーのものすごさを見た。(下右)

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 遺跡のなかを歩いていると、すれちがうインド人から、必ずと言って良いほど声をかけられる。好意的な顔で「フィッチカントリ?」と。実に聞き慣れた発音だ。インド人の英語の発音は日本人の発音とよく似てて、実にわかりやすい。こちらは一言「ジャパン」と言うだけで「オーー」と、なぜだか感動され、穏やかな国際交流の気が流れる。インド人ほど色の黒くないアジア人は目立つのだろう。それにしても向こうは握手が日常的なのか、すれちがう人々(こどもと大人の男たち)が手を差し出してくるので、まるで、有名人に対する握手攻め的な感じ。校外学習でやって来た現地の小学生達に囲まれて、みんなと写真の中心におさまって、しばらく身動きならぬこともありました。(うーっむ、子供は世界中どこでも無邪気で良いぞ)

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 エローラやアジャンタでは、中心となる人物の周辺に、多くの天使(天人、天女)が彫られている。そのほとんどすべてが、翼もなく、衣をたなびかせ、宙に浮いている。心の中で翼のついているものを探していた。ギリシャの影響を求めて。なかなか無い。が、たった一点、翼のついた天使。これのみ、発見(左)。第16窟入って左側2階の部屋に。まさに例外。キリスト教文化の影響かな。

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エローラ第16窟は特に見どころ多い。カイラーサ山を揺り動かすラーヴァナ神(神と名が付いているが、シバをおびやかす悪魔らしい。悪魔なのに神というのが理解に苦しいが)の絵を描いているときだった。その日はエローラの最終日。夕方5時半に、遺跡の出口のところでアウランガバードへ戻るオートリクシャーを待たせていた。あと10分だった。

 ちょうど数名のインドの若者の観光客のグループが僕のまわりでスケッチのようすを見ていた。(興味関心賞賛の声)目の前に一人のおとめがじっと僕のほうをみて何やら言っている。同じグループの若者が、英語に訳して僕に言う。「あなたに私を描いてほしい。そしてその似顔絵をください。」と。えーーー?こちらただいま遺跡の勉強中、と思ったが、以前、トルコ旅行の際にも、この似顔絵描きがとっても交流に有効だったので、これは自分らしくて良い。「OK、やってみよう」と描き始めた。まっすぐにこっちを向いて、黒い瞳とまつげが美しくて気持ち良かった。約7分で描き上げて、あげる。

 

 

 

 一行たち全員と彼らのカメラにもおさまった。にこやかに立ち去ってゆく彼ら。なかなか楽しかったな。さて残り3分で、描きかけの遺跡を仕上げて、ちょうどよい。  と、思った時に、今度は、別の集団の一人の若者が、「次は僕」などと言って、目の前に立っている。えーーー?こちらにはもう3分しか時間がないから・・・。と説明したが「じゃ、その残っている3分でよろしく」とか言ってる。えーーい、ここまできたらやるしかない、とばかりに描き始める僕。まわりはかれらの家族と親類のよう。「おーー似てる」とか言ってるかどうかはわからなかったが、朗らかな笑い声に囲まれて、こちらも楽しかった。彼はなかなかの好青年でした。(右)
 インド人は同じアジア人とはいえ、かなり彫りが深い。肌の色が褐色なだけで、骨格はヨーロッパ系の人々と同じ。描いてみてよくわかった。これは反省と今後の勉強になった。ありがとうございます。ほんとに3分余りでなんとかまとまる(まとめる)。またも、彼らのカメラにおさまる僕。彼のこども(2才くらいの男の子)を抱いて写ってくれ、とたのまれて、陽気に応じる僕。まさか、こんなところで、すもうとりが子供を抱いて、その子の家族の写真に収まるみたいなことになるとは思いもよらなんだ。そのベイビーのかわいい重さと笑顔が、なんだかこちらもうれしかった。さらにもひとり、もっと幼い女の子も、とたのまれたが、その女の子は母親(すんごい美人だった)の手を離れると、泣きそうになったので、中止。それでもにこやかな交流の和。なかなかおもしろかった。
 出口を出ると、デカン高原に大きなオレンジ色の夕日が落ちかかっていて、すべてはうまくいっていますよ、と言ってくれているみたいでした。

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