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旅スケッチ

フランス2

 2006年5月23日から、29日まで、某大手旅行会社のツアーに参加してきました。長年の憧れの地、ヨーロッパ、フランス、パリの地面を踏んでまいりました。私なにぶんフランス初見者につき、スケッチポイントを短時間で確実にかつ効率よく巡るため、北フランス中心で、私の希望を満たしてくれるこのツアーを選んだのでした。結果的にはその希望を十分満たして帰ってきました。ありがとう、です。

 

 今回のレポートは、1,世界遺産巡り、

          2.オーヴェール日帰り一人旅(ボンジュール ムッシューゴッホ、セザンヌ)編、

          3.フランス雑感編、

 の3編で編集してみました。

2、オーヴェール日帰り一人旅(ボンジュールムッシューゴッホ、セザンヌ)編

 ツアーの中に、1.5日(実際には1日)のフリータイムが組まれてあったのも、このツアーを選んだ大きな理由。セザンヌファンのエッキーとしては、以前より、南部のエクス・アン・プロヴァンスはなんと言っても行ってみたいところだが、今回はフランス入門と割り切って、北西部とパリ中心のこのツアーで充分だった。さて、フリータイムをどう活用するかだ。パリのホテルから最大1日で戻れる所でなくてはならない。最初に思ったのは、明治時代の画家、浅井忠や黒田清輝らが滞在したグレー・シュル・ロワン。次に、オーヴェール・シュル・オワーズ。グレーについては・・・中学校の美術の教科書には浅井の描いた「グレーの洗濯場」という水彩画が載っていた。あの明るく淡い光のフランスの田舎の風景画の現場です。ものの本によると、グレーは、パリから2時間程度、今も変わらぬ中世の情緒たっぷりの田舎町、とある。浅井の描いた風景が、そのまま見れるぞ。が、いかにせん、交通の便も昔ながらで(タクシーさえも無いという)、行きと帰りと滞在可能な時間の予測がつかない。おまけに、こちらフランス語は学習不足のうえ、公共交通機関にも乗ったことがないのでなおさら予測がつかない。そこで今回は予測可能な、オーヴェール行きと決めたのでした。ゴッホファンの方ならご存じでしょう。ゴッホが最後に描いた麦畑、オーヴェールの教会、住んでいて、そしてそこで亡くなった屋根裏部屋などのある町です。さらに、セザンヌやピサロなど印象派の名だたる画家達が、イーゼルを立て、絵を描いた町です。グレーにしろオーヴェールにしろ、今回は画家の立った場所に自分も立ち、その場所の風、光、気温や湿度、においの中に身をおいてみたかったのです。(季節柄、モネの睡蓮とアトリエのあるジヴェルニー、という手もあったが、オーヴェールよりさらにパリから離れる。)
 フリータイムの残りの半日はモンマルトルの丘を散歩、のつもりが、実際には半日どころかほとんど余裕がなかったので、行けませんでした。6冊持って行ったスケッチブックの、ちょうどモンマルトルスケッチの予定分の0.5冊分のスペースが、むなしく白紙のまま、日本に戻ってきたのでした。(手ぶらで戻ってきたような哀しさです。)

 2006年5月27日、大安。公共交通機関で迷って手間取ることも充分考えられたので、朝6時半、朝食も摂らずに(ホテルの朝食タイムは7時から)出発。まさに冒険の気分。まずピンク色の路線のメトロ(地下鉄)に乗って、パリ北駅へ行く。つもりが、まずメトロの切符の買い方がよくわからない、というよりフランス語の表示が全く読めない。なんとか愛想のない窓口にて10枚券を買う。入場の仕方は日本と同じく機械に切符を通す。これは簡単。イエーイ。しっかり7つ駅を数えて「東駅」で電車を降り、地上に出たい、が今度は出口がわからない。日本だと、どこへ歩いていってもとりあえず地上には出られる。が、フランスでは地上に通じる(大げさですみません)出口は一カ所。あとの通路はすべて他のメトロ路線への乗り換えに自動的につながる。つまり一方通行。これはなるほど西洋的、合理的。と思って、人の流れについて流れて行く。ありゃ、別の路線のホームに出てしまった。そっちへ行っちゃあ出られやしない。おかしいなあ「SORTIE(出口)」の矢印の通りにすすんだはず・・。一方通行を一人の新参者ジャポネが逆流する。あうう、行ったり来たりしながらもやっと出口へたどり着く。ここでは日本のように出口の機械に切符を通すようなことはしない。堅固な鉄製の枠を通り抜けるだけ。ただし、回転扉式になっており、ここからメトロ側に入ることはできない。ガッチャーーンという大きな音とともに扉が回転して、地上へ出ることを許可される。(ような感じ)。さすが西洋的、合理的、強圧的。まず地上に出るとそこに駅らしい建物が。が、これは東駅。めざすは北駅。地図を頼りに歩く。朝の清掃車が強引にホースで水を飛ばしながら、ゴミを飛ばしている。花の都パリでもやっぱりゴミはある。ふむ。と、こうするうちに、大きな建物の前へ出る。壁に4~5メートルの高さもあろうかという彫像が何十も取り付けてある。これは美術館か?えっこれが駅?という感じの立派な北駅でした。北駅は、パリから北部方面、遠くはイギリスまで行ける列車の発着場。駅前に、ガイドブックでよく見るアールヌーヴォー調の優美な曲線の緑色のメトロ入り口を見つけた時はわくわくしました。

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駅の構内に入った。広い、明るい、しゃれている。はやる気持ちを押さえながら、まず両替。1万円。53.05ユーロになって戻ってくる。(手数料がかなり高いかも)窓口の二人の男性は、どちらもインド系の人でした。パリには、意外なことに、黒人や中国人とおぼしきアジア系の人も多い。さて、切符売り場らしき立派な窓口へ並ぶ。「オーヴェール」と言う。ここではない別の窓口に行くように指示される。「メルシィ」と言ってその場を離れる。こちらは遠距離列車専用の切符売り場だった。道理で窓口も国際的な雰囲気をしてる。ちょっと歩いてあたりを見回すと、なるほどもう一つ窓口がある。こちらはずいぶん庶民的な雰囲気。これだな、と思い、窓口へ並び、「オーヴェール・シュル・オワーズ」とかたかな読みのまま言う。ついでにガイドブックの地図を見せる。通じたようだが、ちょっと変。何か言ってくる。わからない。パソコンの画面を見せてもらう。オーヴェール・シュル・オワーズというフランス文字と15.30ユーロの文字が見て取れたので、「ウィ」とする。切符を手に入れる。2枚ある。それぞれ違うことが書いてある。全く意味わからず。往復切符なのか、片道切符なのかさえも、わからん。とにかくこれでオーヴェールに行けるようだったので、ここでは深く考えない。さて、次はどの列車に乗るかだ。これもほとんどわからんので、改札口の案内の駅員さんに聞く。「エクスキュゼモア(すみません)」。切符とガイドブックの地図を見せる。若い駅員でしたが、とても親切に路線図に書き込みまでしてくれて、説明してくれた。うれしくなっちゃう。そこではじめて気がついた。ガイドブックではパリ北駅からポントワーズへ行き、そこでクレイル行きに乗り換える、とあるが、パリ北駅おすすめのルートは、パリ北駅から別の路線でヴァルモンドスへ行き、そこからポントワーズ方面行きにら乗り換えて一つめがオーヴェール駅ということだった。どうにもこちらのほうが早そうだった。もうすぐ発車するあの列車に乗ると良いとまで教えてくれる。「メルシィ」と言ってその場を離れる。さて、改札の機械に切符を通して、と、やってみるが通れない。どっちの切符をいれるんだ?あっちかこっちか、もたもたしてるのを見ていたさっきの駅員が、とっさにブースから出てきて、教えてくれた。再び「メルシィ」で、やっとこさ列車に乗り込む、とたんに列車はホームから郊外へ向けて滑り出していった。いやはやなんとも、はじめてということは何事も大」げさにならざるをえん。ちょっと冷や汗。ところでこの列車どこ行き?それさえわからないまま、ただひたすら身も心も任せる。2階だての列車でした。乗客のほとんどが黒人でした。なんとなく彼らはさびしそう、なげやり風。フランス社会の現実を感じる。
 途中から自転車が乗ってきた。自転車?どこの改札をどう通り抜けてきたのか?見ていると乳母車もどしどし乗ってくる。日本ではほとんど見られない風景でした。

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 かくして、2006年5月27日、午前9時7分、オーヴェール・シュル・オワーズ駅に降り立つ。とうとうオーヴェールに来ました。ゴッホもまさにこんな気分でこの地に降り立ったのだ、という気分を実感する。駅前からまずあの教会が見える。まさにここだ、と何度も実感する。すぐ目の前の通りと宅地の前に、ひろしま美術館も所蔵しているの「ドービニーの庭」の説明看板を発見。これがドービニー邸。ゴッホがオーヴェールに滞在したのは1890年だから、いまから106年前。当時の庭は、いまの道路のへんまであったんじゃあなかろうか。駅前へんから見上げると、絵の中にある教会も見えるが、この看板の位置からは教会を見ることはできない。庭の状態や屋根の瓦や窓辺のペンキの色はさすがに昔のままではないけれど、ゴッホがよく描いた菖蒲(いちはつ)の薄紫色のおおきな花もちょうど咲いていて、ここでまずスケッチ。私の背後を、フランスのかわいい幼稚園児の集団が朝の散歩をして通り過ぎる。
 近くのスーパーで朝食のハムサンドとカフェオレを買って、ザッキン作のゴッホ像の建つドービニー公園で朝食。これがとっっってもおいしかった。画材を背負ったゴッホさんと握手している写真をセルフタイマーで撮って、さらに西へすすむ。と、ゴッホが住んでいた屋根裏部屋のある「ラブー邸」の前に来る。

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ゴッホが借りていた屋根裏部屋は、右手の煙突の見える側にある。大きく建物の左手に回り込んで、裏から2階に上がる。そこからスタッフの娘さんによる厳重な注意(写真禁止など)の注意事項を承諾して、屋根裏へ続く扉の中に入れてもらう。すごい体験でした。
 その日そのとき、お客は私一人だった。(2.3分してフランス人の夫婦が入ってきたが)その間、時間がタイムスリップした。106年前へ。木の板でできているちょっと螺旋式の階段を、ゴッホと同じように靴音をたてながら昇っていった。薄暗い階段の横のグレーの壁が自分に迫ってくるようだった。生きているゴッホを感じた。ラブー邸の住人に声かけながら描きたての絵を抱えて昇っていくゴッホとシンクロした。心身が震えました。ものすごい感覚でした。ゴッホはラブー邸の住人にとても愛されていたといいます。ゴッホの心底やさしい心を感じました。
 ゴッホの部屋は3畳くらいの小さな部屋です。スタッフの娘さんの説明を3人で聞きながら(私はまったくわかりませんでしたが)ゴッホの気配を感じられて大変満足しました。2階のショップでゴッホとセザンヌのDVDを買って、さらに西へ向かいました。

 オーヴェールはさすがにどこを描いても絵になる町でした。赤い屋根の家に遠く青い丘が見える。通りを歩いていると、あれ、この場所どこかの画集でみた風景だ、などと思うことはしょっちゅう。ピサロ、セザンヌ、ゴッホ、らがイーゼルを立てて描いた場所に、作品の看板が出ている。ゴッホがお世話になったガッシェ博士邸を見学しさらに西へ進む。そしてとうとうセザンヌの初期の傑作「首つりの家」を描いた風景の場所に立った。今では電柱も立ち、木が大きく茂り、セザンヌの絵にあるような遠くの青い丘は見えない。手前の家も、茅葺きから瓦葺きに替わっているけど、まさにこの場所だ。とうとうセザンヌの足跡の上に自分の足を重ねたぞ。足の裏がなんだかくすぐったいようなうれしさだった。立ってみると、さすが現代絵画の父セザンヌ。無理のない、バランスと変化と安定を備えた景色を描いていることがよくわかる。エッキーも鉛筆でスケッチしました。なにかの植物のにおいだろうか、独特の風のにおいが体に残った。ありがとうムッシューセザンヌ。

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さて、ここでスケッチしていると、観光のフランス人の3人家族に、道を尋ねられた。どう見てもこの私、東洋人が、オーヴェールの道を知りつくしているようには見えないはずだが・・・。(実はさきほども道を間違えて、近所のムッシューに教えてもらったくらい)むこうもなんとか「m,m,m,map(地図)」とたどたどしい英単語を(フランス人は必ずしも英語は得意ではない。)発してくれたので、地図を見せたらわかってくれてお互い良かったです。またここでは、フランスに留学中という千葉出身のかわいい日本人の娘さんに出会って、私が来た道と違う方角からやって来られたので、今度は私が彼女に道を尋ねました。(当然、日本語で。楽でした(笑)彼女の教えてくれた道をしばらく行くと、いつのまにかもとの道に出たので、そのまま町の中心部まで戻りました。途中、フランス人らしき若者が油絵を描いていました。

 さて、ラブー邸まで戻って、のどが渇いたので、近くの喫茶店に入る。これだけは、という意気込みで日本で覚えてきた「アン・キャッフェ・シルヴィプレ(コーヒー一杯ください。)」を伝家の宝刀を抜くがごとく発声する。同じコーヒーでも、椅子に腰かけるのと、カウンターで立ち飲みするのは、値段が違う。(テーブルまで持ってきてもらうと、人件費分高くなる。なるほど合理的)ということを知っていたのと、近所の住人のようにラフな気分を味わうため、カウンターで。すぐ横の壁にカーク・ダグラスがゴッホを演じた(邦題:炎の人ゴッホ)ときの見慣れたゴッホの姿が描かれていた。まさにここでロケしたあの映画はなかなか良くできていると思う。日本に帰ったら、もう一度ビデオを見返してみよう。

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 うまいエスプレッソコーヒーで元気を100倍取り戻したので、いよいよ教会と麦畑とお墓をめざす。意外にもどっしりとした大きな教会です。いい味だしています。これは絵にしたくなる。教会へ昇る石段(ゴッホも昇ったであろう)は長年の人々の歩みで角が取れて丸くなっている。くぐり抜けると、教会の右手にでる。すばらしい。ここでまずスケッチ(左のスケッチ)。野太い弓状のボールトが壁を支え、ゴシックともロマネスクともつかない古くて渋い味がある。そこから教会の裏手へまわると、ゴッホも描いた位置に出る。道は多少整備されて人工的だが、ほとんどゴッホの絵のまま。私のすぐ後ろは塀があり、これ以上下がれない位置からスケッチを試みる。近すぎる。全体が画面に入りきらない。ちょっと無理して画面に押し込む。(右のスケッチ)ゴッホもこの位置から描いたのかもしれない。かなりの広角。画面の手前の二つの道は、実際、どちらへ進んでも教会の正面に出る。昔、何かの解説で右手の道は墓場へ続き、左手の道は人々のいる教会や町に続く、とあったがそれはまちがいだと気づく(画面に描かれていないさらに手前の道はそうだが)。ちなみに、この教会の内部は、その渋い外観に対して、かなりかわいい。ささやかだが鮮やかなステンドグラス。人々の声が普通に届くくらいの程よい空間。午後の光線の加減か、内部も明るかったので暖かい気分になる。いい教会です。

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 墓地の周辺には麦畑が広がっています。おりしも低気圧の影響で、やや強い風が遠くの雲を足早にさせています。幸いにも、雨に降られることはなく、ゆっくりスケッチできたのは幸いでした。ここでの風のにおいも、日本の風のにおいとは違って、初めて嗅ぐにおいだった。これだから、現地にきてみないわけにはいかない。この麦畑のまっただなか、さきほどの千葉の留学生に出会った。彼女は以前、麦刈りのすんだあとの秋に来たことがあるらしく、そのときは観光客もほとんど見られなかった、と言う。ゴッホもこの麦畑の中をキャンバスを担いで情熱的に歩いた。あちらこちらに作品の看板がたっている。下のスケッチハは最後の作品といわれる、カラスのいる麦畑を描いた場所から、ゴッホとは逆向きになって、ゴッホの墓のある石塀を左手に眺めながら、いまは麦の穂もわずかに出かけたばかりの、青く広がる麦畑を描いてみました。

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 なごりも惜しく、夕方になったので、パリへ戻ることとする。帰りは簡単。来た道順を逆に行けば、終点がパリ北駅なので、乗り過ごす心配もない。オーヴェール・シュル・オワーズ駅でおおかた7時になった。まだまだあたりは十分明るい。と、突然、教会の鐘が連打、乱打で、長いこと鳴っていた。デジカメの録画モードでその鐘の音を録音した。無人駅状態だったのでそのまま汽車に乗る。
 思えば、随分長い一日だった。セザンヌにもゴッホにも会ったような気がする。ゴッホやモネは特に日本びいきだったというから、もし本当にお会いしていれば、随分愉快だったろう、などと考えながら、ほとんど揺れない静かな列車で、午後8時30分、パリにもどる。まだまだあたりは十分明るい。ここでこの編は終わり・・・。となるつもりだったが、例によって、フランスの鉄道、出口がわからん。「SORTIE」の指示に従って進んだつもりなのに、出口にたどり着けん。同じエスカレーターを2度3度むなしく上下する。おまけに2枚持ってる切符のどれを通せばいいのか、わけがわからん。あちこちの機械に突っ込んでみましたが、扉は開かない。20分徒労の末、結局また駅員さんの指示をあおがざるをえん。今度は黒人の若い女の駅員。結局の結局、構内のすみっこのわかりにくい出口から、しかも切符など機械に通さずに、体を思いっきりバーに押せ、とのことでやっと出る。さらに地下鉄に乗って、ようやく、ホテルに帰り着いた。午後9時半になっていました。まだまだあたりは十分明るい。フランスの日照時間はどうなっているんだ。カーテンを閉めて外を暗くして(暗くなったつもりにして)ようやく心が落ち着きました。

 教会の裏手の道をさらに昇ってゆくと、青々とした麦畑に出る。ゴッホの作品と、それを描いた位置に看板がある。日当たりのいい丘の中程に墓地があり、そこにゴッホと弟のテオの眠る墓がある。ほとんど地元の人々のお墓であり、すべて大理石におおわれてあるが、ゴッホとテオの墓だけは、ツタが生い茂り、緑で覆われている。この下に、映画の中のゴッホでもない、まさにゴッホその人の亡骸があると思うと、ジーンとくるものがありました。このお墓は、かの山下清画伯も描いておられます。(清さんは、このときのお話を文章にも書いていて、それを昨日ガイド嬢がバスの中で朗読してくださっていたので、清さんもなつかしい。(直接お会いしたことはありませんが。)私も2時間近くここらへんにいましたが、このお墓には、訪れる人の途絶えることもなく、世界中にゴッホは愛されているんだなあ、と思いました。ありがとうムッシューゴッホ。

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